第十六話





日差しが登校中の生徒たちの白いシャツを眩しく照らす、少し肌寒い朝。
行きがけに偶然出会ったフレデリックとロックウェルは一緒に登校していた。二人の前には同じクラスのバカップル、パトリシアとフィリッポが肩を並べて歩いている。フィリッポはおもむろにパトリシアの腰に手をまわし、パトリシアもそれを拒否するでもない。幸せそうなカップルの光景がそこにあった。

が。


「あぁ! ちょっと、やだ、あの人がいる! 今日運いいかも!」


突然パトリシアは嬉々とした顔でそう叫ぶと、フィリッポの腕をひょいっと払いのけた。
パトリシアの見つめる先には、風になびく艶のある黒髪がなんとも美しい、少し鋭い目つきの青年。ちょうど向かいの歩道とこちらの歩道を結ぶ横断歩道を渡ってこちら側に歩いてくるところだった。

黒髪の美青年が近付くと、パトリシアは顔を赤くし、さっとフィリッポの後ろに隠れた。どうやら照れているらしい。フィリッポはとりあえずその青年を睨みつけておいた。

立ち止まった二人の横を青年が通り過ぎ、追い越して行った。パトリシアはそんな青年の後姿を、恍惚とした溜息を吐きながら見つめていた。


「ああ、やっぱり素敵……。どうしてあんなかっこいい人がいるのかしら」

「おっす。何してんの」

「あら、ロックウェルにフレデリック。おはよう」

「何、誰見てたの?」


だんだん小さくなっていく黒髪の青年の後姿を、目を細めて見つめながらフレデリックが聞いた。
フレデリックの言葉にパトリシアは驚いたような顔をした。


「やだ、ホゲ様を知らないの?」

「ホゲさま?」

「うちの学校一番のイケメンじゃない! あぁ、もう、絶対顔を合わせるなんて無理だわ。あんな目で見つめられたら……(赤面)」


一体何を妄想しているのか、パトリシアはうっとりした顔で両手を頬にあてた。


「へぇ……。確かにきれいな人だね」

「去年、ミスターコン出る予定だったんだよ、あの人。ホゲ先輩が出てたら、絶対ミスターだったろうな」


ロックウェルが言った。たしか昨年のミスターはジグモンドだったはず。


「あの人は出なかったの?」

「ああ。何かと運の悪い人でさ……」


昨年の文化祭当日、通学途中の満員電車でなぜか痴漢と間違われたホゲはそのまま警察へ連行され、まる三時間かけて潔白を証明し、ようやく学校へ向かえると思った矢先、財布と定期をなくしどこへも向かえず、結局その捜索活動で一日が終わったのである。しかもその財布と定期は事情聴取をしていた警察官がなぜか没収したまま忘れていたというのだから、もはや運命のいたずらと思うしかない。ちなみにその警察官の名前はグァルディオラという。おそらくホゲに似た風貌のものに恨みでもあったに違いない。


「ま、今年はどーかな。ホゲ先輩が出るなら、きっとホゲ先輩が選ばれるだろうな」

「ロックウェル、出ればいいじゃん」

「ばっか、ぜってーやだ。お前出れば。案外いけんじゃね?」

「うわ、案外だって? むかつくわー」

「ははっ嘘、嘘」

「二人とも出ちゃえばいいじゃない。ホゲ先輩には敵わないかもしれないけど♪」

「あ。ひっでー」


本来なら男子生徒二人がこんな会話を繰り広げていたら痛いことこの上ないのだが、生憎二人とも誰もが認めるイケメンのためそんな会話すら様になっていた。会話に入れないフィリッポはいじけた。










その頃。


「あっ……あの方は! あの神々しいお姿は!! ホーーゲーーーーさーーーーまぁーーーーー!!」


校門に姿を現したホゲを大声で呼ぶものがいた。周りの目も構わず、昇降口のあたりから両手をぶんぶんと振ってホゲのほうに走ってくる。こぼれ落ちんばかりのふにゃふにゃの笑顔で。


「チョクファン……全く恥ずかしい奴……」


近くを歩いていた女子生徒に哀れんだ頬笑みを向けられたホゲは頬を赤く染めた。


「ホゲ様っおはようございます!! あぁ〜今日も一際目立つアジエンスのCMを思わせる美しい黒髪と老若男女構わず落とすクールな眼差し、胴体の二倍はありそうな長いおみ足が素敵ですうぅぅぅぅうう(涙)このチョクファン、そんなホゲ様のおそばにいられてこれほど光栄なことは……うっ……うっ……」

「な……泣くな!!(汗)」


しかし胴体の二倍の長さの足とは、もはや褒めているのか分からない。


「ホゲ様、おはようございます」

「あぁ、イルス。おはよう」


ホゲの足にすがりつき、むせび泣いているチョクファンの対処に困っていたホゲは、もう一人のクラスメイト、イルスの登場に胸をなでおろした。


「こら、チョクファン、ホゲ様が困っているだろう」


イルスはチョクファンをべりっと引き剥がした。チョクファンの扱いには手慣れているらしい。

イルスとチョクファンはホゲのファン1号2号で、高校入学時から彼のことを「ホゲ様」と呼び、慕っている。特にチョクファンのホゲへの心酔っぷりは目に余るものがあるが、今ではホゲにとっても二人はかけがえのない友達になっていた。


「ホゲ、それに二人とも。おはよう」


その時、鈴の鳴るようなかわいらしい声が背後から三人を呼んだ。白い肌と黒髪のコントラストが目を引く美女、キハと、そのお伴のサリャンだった。


「キハ様、サリャン。おはようございま……って、え?」

「……あら?」


ホゲの姿は跡形もなくなっていた……。


「あれ、今いたはずなんですが……」

「いたわよね。私も見たわ……。不思議ね」


首をかしげるキハだったが、チョクファンが恐ろしい顔で睨んでいることに気が付き、そそくさと去って行った。サリャンは一瞬去りがたそうに立ち止ったが、すぐにキハの後を追った。
イルスはキハに手を振り、彼女の姿が昇降口に消えるのを待って、はぁ、と大きく溜息をついた。


「で、……なーにをそんなところに隠れているんですか」


イルスはつかつかと側道の茂みに近づいた。数秒間、じっと茂みを見守るも、何も答えるものはない。


「ホゲ様!」


イルスは茂みに手を突っ込み、すっぽり隠れていた木の葉だらけのホゲを引っ張り出した。


「なっ何をする!」

「あんたが何してるんですか!(汗)」


表の世界に戻ってきたホゲはきょろきょろを辺りを見渡しながら、制服についた葉を手で払って落とした。


「だって……だって朝からキハに会うなんて……は、恥ずかしいじゃないか(照)」

「ちょっ……クールビューティーキャラが好きな女に会ったくらいで照れないでください!(汗)」

「お……女って! 女子って言え! 女子って!(赤面)」

「小学生ですか!(滝汗)」


ホゲは真っ赤になった顔を両手で隠した。
ホゲ信者第一号のチョクファンは何とも言えない顔をしていた。女ごときに恥ずかしがるなんてホゲ様じゃない!という気持ちと、そんなギャップもまた素敵だ、という気持ちで揺れ動いているらしい。


「とにかく、行きましょう。そろそろチャイム鳴りますよ」


もじもじしているホゲの手をイルスは引っ張った。だがホゲはぶんぶんと首を振った。


「い、嫌だ。行きたくない!」

「は? 何言ってるんですか」

「だって、だって、キハがいるじゃないか。さっき突然姿を消した私のことを不審がっているに違いないよ。かといって弁解するためには、は……話さなきゃいけないし、でもそんなの恥ずかしいし、かといってそうしなければ一生話せないし、きっと彼女の方では私のことをもう忍者の末裔か何かと思っているだろうし……あぁ、私はどうすればいいんだ!」

「大丈夫、そんなに貴方のこと気にしてないですよ」


ショックのあまり放心状態に陥ったホゲはイルスに引き摺られて教室に連行された。








「ホゲ様、いつもああして窓の方を見てらして……」

「何か悩みごとでもあるのかしら。遠くを見つめる瞳が悩ましげで……」

「えぇ、それでいて愁いを帯びたあの横顔……」


やっぱり素敵よね〜!と女子たちはきゃぁきゃぁと黄色い声を上げた。
ここは3年3組の教室。
休み時間、窓際の席のホゲは机に肘をつき、青い空を横切る飛行機雲をぼんやりと眺めていた。


(ってゆうか何で女子たち私の方見てるんだろう……私の自意識過剰だろうか。いや、でも明らかにビシバシ視線を感じる。私何かしたっけ……。うぅ、くそ、恥ずかしくて振りむけないじゃないか……)


単にクラスの女子と目が合うのが恥ずかしいだけであった。



「よっ、ホゲ!」

「タムドク」


ホゲは顔を上げた。親友のタムドクは隣のクラスである。次の時間の体育は合同なので、一緒に行こうと誘いに来たのだった。

二人は体操着に着替え、グラウンドへと向かった。


「私たち、同じチームだといいな。サッカーやるみたいだよ」

「そうだな。こないだのバスケではせっかく一緒のチームだったのに、私初っ端に突き指しちゃって参加できなかったから……」


ホゲが遠い目をして言った。


「そうだなぁ、あれ、ドンマイだったよな。今日は女子がテニスだから、きっと見に来るだろうし、がんばろう」

「えっ、女子も外なのか? しかもテニス? テニスコート、サッカーコートの隣じゃないか」

「そうだよ。何、もしかして誰か気になる女の子でも居るのか?」


タムドクがニヤニヤしながらホゲを覗き込む。ホゲはあわてていつものクールな顔を取り繕い、何も気にしてない風を装った。


「いや、まさか。じょ……女子なんてどーでもいいし! っていうかあいつらいるとむしろ気が散りそうだし、ほんとやりづらいし!」

「そうかー? ま、気にせずやろーぜ」


タムドクの爽やかな笑顔にホゲはたじろいだ。

ホゲは知っていた。キハが密かにタムドクに思いを寄せていることを。鈍感なタムドクは知らないだろう。絶対に二人を近づけてはならない。もちろん、自分がキハを好きなことも決して感づかれてはならないのだ。
タムドクは親友だ。だが親友だろうと好きな女をやすやすを譲り渡すほどホゲはお人よしではない。


(っていうかキハが見ている前でタムドクがすげー失敗すればいいのに……そしてタムドクに失望したキハが私のファインプレーを見て惚れ直せばいいのに……)


何やら難しい顔をしているホゲを見て、タムドクは(やっぱりホゲは大人びてるなぁ)などと呑気なことを思うのだった。






晴れ上がった青い空の下、グラウンドを駆け回る生徒達の声が響く。グラウンドの半分は2年生男子の野球、もう半分は3年生男子のサッカーが行われている。それも2年、3年ともに全クラス参加のため、狭いことこの上なかった。

もともと2年が野球で使う予定だったグラウンドをなぜか3年が半分使用することになったのは、変態エロ教師プルキルのせいであった。


(せっかくの女子たちのスコート姿……見逃してたまるか! ハァハァ……(怪))


体育授業の丸々1時間、プルキルはサッカーをほったらかしに、テニスコートの金網にへばりついていたために、チーム編成や試合形式は生徒たちで勝手に決めることとなった。


「よし、ホゲ、一緒に組もうぜ!」

「あぁ。じゃあイルスやチョクファン達も……なんだかんだあいつら運動神経いいから」


そう言ってホゲは辺りを見渡したが二人の姿が見えない。そういえばグラウンドについてから一度も見てない……とホゲはクエスチョンマークを浮かべた。


「どうしたんだろう、あの二人……」

「うーん……誰か他に運動神経いい奴いないかなー?」


タムドクがむーんと唸って周りの連中に目を走らせた。目に入ったのは「俺がキャプテンだぁー」と騒いでいる倉岡銀四郎、そして「もちろん銀ちゃんがキャプテンでさぁ!」などと合の手を入れるヤス、それに反発する橘……。こんなやつらがチームにいたらまとまるものもまとまらない。

冷汗を垂らしつつ、再度メンバー候補を探すタムドクだが、生憎残っているのは手持ち鏡で髪型チェック中のナルシーチョロと、なぜかロッキンチェアを持ち出して編み物を始めだした生徒会書記のカエサル(すげー邪魔)、そして……


「何だ、人数足りないのか?」

「あ……エドガー」


目が合ったエドガーがタムドクとホゲに近寄る。タムドクはエドガーがあまり得意ではなかった。生徒会長の割に風紀を守っているわけでもなく、屋上で煙草を吸っていたり、指定外のおしゃれスニーカーをはいていたり、はたまた女をとっかえひっかえしていると言う噂もあり、何を考えているのか分からない、というのが彼に対して抱いている印象であった。だが、他のメンバーに比べれば彼の方が今は心強い。


「ああ。よかったら……」

「どうせだから、適当にメンバー探してきてやるよ」


そう言ってエドガーはどこかへと消えた。

しばらくして戻ってきた彼は見慣れぬメンバーを連れていた。


「エドガー先輩、俺、ほんと運動音痴なんですけど……」

「大丈夫、フレデリックは俺のそばにいろ」

「エドガー先輩……(赤面)」

「ちょっと、そばにいろったって、サッカーですよ、サッカー(汗)フレデリック、どうせロベルトが点稼いでくれるから俺らは適当にやろうぜ」

「サルメ、ルールわかる?」

「いや、全く……。でもサダル、その槍は絶対に必要ないと思うぞ……(汗)」


エドガーは2年生の面々を連れてきていた。なぜそんな無法が許されたかと言うと、2年の体育の監督であるトート先生がプルキル先生と一緒になってテニスコートの金網にくぎ付けになっていたためである……。


(女子高生の生足もたまらんが……やはりエリザベート、君が一番美しい……。だがなぜ……なぜスコートを履いていないんだぁぁ!!)


不穏な視線に気がついたエリザベートは女子たち全員に長ジャーを履くように指示した。